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あの頃のなべ用語・・・。
随時更新中です。
写真、エピソード、情報を募集してます!
是非、早稲田大学なべの会OB会事務局までメールでお寄せください!
■名 称 | 解 説 |
■ポリタン | ![]() 「ポリタン」は商標登録されたれっきとした商品名。取っ手付きのもありました。これに水道水を入れて活動してました。 当時はガソリンスタンドにポリタンを持参するとホエブス用のガソリンも入れてくれました。1970年(昭和45年)三宅島での春合宿では、泥酔した会員が水と間違えてポリタンからガソリンを飲んでしまい大騒動になった事もありました。 |
■タンツボ | ![]() 水、お茶、コーヒーや味噌汁を飲む時に使っていました。 活動中「ちょっとタンツボ取って・・・」なんて会話を普通にしてましたけど、今思い出すと笑っちゃいますね。ホーローコップも本物のタンツボも見なくなりました。 |
■ブス・ホエブス | ![]() 残念ながら製造中止になりました。正確にはホエーブス(Phoebus)と言います。なべの会では625を使用していました。愛称はブス。「ちょっとブス取って」なんて言ってました。ギリシャ神話に登場する「火の神」に由来するこの名前。いちいちメタでプレ火(プレヒート)して着火するのが面倒でした。 |
■なべトレ | ![]() |
■マラ幹 | 合宿の度に開催されたマラソン大会(新入生を朝早く起こして数キロのマラソンに強制的に参加させるイベント)の幹事の事。通常は四年生が担当する。1971年(昭和46年)、森山さん(6回生)が幹事長の頃、聖高原夏合宿で雨が降り続き、何もする事がなかったので晴れ間にマラソンをしたのが始まり。。 1980年(昭和55年)頃には早朝から竹刀を振り回しコンバットマーチを大音量でかけ、特攻服を着たマラ幹が下級生を叩き起こすスタイルが定着した。夏合宿の最終日にマラソン幹事の引き継ぎ式を行い竹刀と特攻服を引き継ぐイベントが行われた。18回生の朝日さんによれば1984年の夏合宿では全日程が雨天だったため、最終日に下級生を叩き起こして廃校の体育館でフォークダンスをさせた事があったそうです(笑) |
■なべ吊り | 10年に一度、梅ノ木平に大なべを吊るしに行っていたらしい・・・・。 |
■馬場掲 | ![]() |
■トレペ | デザイン業界ではトレーシングペーパーの事ですが、なべの会ではトイレットペーパーの事。 |
■ロビー | ![]() |
■なべ婚 | なべの会会員同士が結婚する事、約50組のカップルがいると思います・・。多いのか少ないのか? |
■上級生調理 | 1972年(昭和47年)乳頭温泉 蟹場温泉での夏合宿。建物は古く、母屋と離れしかありませんでした。四年生は離れの個室で寝泊りし大部屋の下級生を毎晩交代で呼びつけては宴会を繰り返しました。 最終日、下級生に対するお詫びとして自発的に夕食を担当したのが始まりだと言われています。 その後、夏合宿の恒例行事となりました。 |
■班旗 | ![]() |
■あじさい | ![]() 何度も沸かし直したコーヒー、朝まとめて茹でたスパゲッティ、いつ開栓したかわからないメロンコンクジュース、スプリングが壊れたままのソファー・・・それでも地方から上京した学生にとってはワセダの喫茶店でした1980年(昭和55年)頃、閉店。 |
■喫茶アリカ | ![]() |
■野草ノート(野音) | |
■丸山番 | |
■車前草 | 1975年10回生が幹事の時に作り始めたOB会誌で、オオバコと読みます。 命名は10回生の吉田さん。文字通りオオバコは車(と言っても自動車ではなく荷車ですが)轍に踏まれても逞しく生きていく草ということで、なべの皆さんが社会の荒波に踏まれても逞しく生きていくという思いを込めて作りました。当時はガリ版印刷です。鉄筆で蝋紙原紙に書いて、ガリ版印刷機(勿論1枚1枚手刷りです)で刷っていました。それを7号館の教室に並べてみんなで製本していました。 |
■プレ山 | |
■海キャン | |
■タコ八イカ十 | |
■山手線ゲーム | |
■逆上級生ゲーム | |
■キジ打ち |