あの頃の早稲田 
マッチ箱で見る1980年(昭和55年)頃の早稲田の店


13回生の丹羽さんから画像データを御提供いただきました。
喫煙者が少なくなった現在では、既に店のオリジナルマッチもほとんど作られていないでしょうし、マッチという存在自体が100円ライターに押されてしまって風前の灯かと・・・。
また、残念ながら、今では閉店してしまったお店もあります。

カーソルをマッチ箱の画像に乗せると裏面を見る事ができます。
@喫茶 アリカ
1979年(昭和54年)、それまで早稲田大学なべの会の連絡先としてお願いしていた大隈通り商店街の喫茶店「あじさい」閉店に伴い、サークルの連絡先としてお願いしたのがお付き合いの始まりです。
なべの会の幹事が交代で陣取り、新入会員の申し込み、入会の説明だけでなく電話による取材も全て「喫茶アリカ」のピンク電話をお借りしていました。
カウンターの中での調理・皿洗いのアリカバイトで生活費を稼がせていただいたOB会員も多いのではないでしょうか?携帯電話やメールの連絡網や学生会館に部室のある今では、サークルと学生街の喫茶店との関係も希薄になりがちです。OB会員の皆様、早稲田にお越しの際は是非、「喫茶アリカ」にお立ち寄りください。
A軽食喫茶 いねや
早稲田の男子学生向け三大グルメとして「三品食堂」、「ほづみ」と並び称せられたと言われています。今はお弁当屋さんになってしまったみたいですね。裏面の『ワセダマンの店』というキャッチフレーズは全く知りませんでした。
B早稲田茶房
1984年(昭和59年)多くの文学者から惜しまれつつ閉店。
オーナーの冨安龍雄さん宅の書庫を学生達に「早稲田文庫」として解放したのがきっかけで1949年(昭和24年)に文学喫茶として開店。明治、大正時代の作家の初版本が本棚に並ぶ非常に有名な喫茶店。
早稲田出身の多くの作家(五木寛之、野坂昭如)も顔を出していたようです。
その当時、店で働いていた日下茂さんは今、吉祥寺で喫茶店を経営しているそうです。その名も「武蔵野文庫」。焼きりんごやおからのケーキ等の懐かしいデザートは今もメニューに残っているそうです。
C志乃ぶ
都電荒川線の早稲田駅近くにある地酒で有名なお店。カウンター席ではなくスタンドと言うのは昔風。今でも健在だそうです。
Dもつやき とん八
高田馬場駅の近く、さかえ通りから左に少し入った所にある赤提灯です。

平成21年も根強いファンに
支えられ、とん八は
健在でした。
E喫茶 白ゆり
「深夜喫茶 白ゆり」2005年(平成17年)の早稲田探訪では健在でしたが、残念ながらその後、閉店してしまいました。今のようにネットカフェのない時代、終電に乗り遅れた帰宅難民の収容所でした。薄暗い喫茶店内にはタバコとホコリ臭いレトロな空気が漂っていました。
高田馬場店は閉店してしまったのですが、「喫茶白ゆり」はもう一店舗、飯田橋駅東口交差点のすぐそばのパチンコ屋の二階(東京都千代田区飯田橋4-9-8)にあり、こちらはサラリーマンのオアシスになっているそうです。
F牛友
今はなきカレーライスと牛丼のチェーン店。
牛丼をドンブリではなく、大きなカレー皿で出された時は驚きました。確か箸ではなくスプーンで食べたような。
1980年当時、急成長していた吉野家の並盛が300円。お金がない時は吉野屋ではなく牛友に行ったものです。
Gニューアサクサ
早稲田通り沿いにある所謂、ペンシルビル?のような細いビルにある居酒屋。店名のまま浅草に本店がある居酒屋チェーンだったんですね。知りませんでした。
H中華料理 河童軒
高田馬場駅そばのビルの1階にあった中華料理屋。河童麺やナスかけごはんが有名でした。この店から暖簾分けされた河童軒が京浜東北線の上中里駅近くにあるそうで、昔の味を懐かしむ人々で繁盛しているそうです。
I喫茶室 ルノアール
ゆったりできる喫茶スペースで正式名称は「喫茶室 ルノアール」
大きくて熱いおしぼりを出してくれたり、長居していると日本茶が出てきたりする過剰なサービスが好きでした。早稲田界隈だけでなく、オフィス街にも数多く出店しているチェーンです。
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